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新年早々、川内川川下りでトラブった話 前編

2024年最初の遠征として、川内川(せんだいがわ)を上流からdoveplusで下ってみることにしました。

川内川は主に鹿児島県北部を流れる一級河川で、かつては、おおよそ川内川と共に宮之城線や山野線などの国鉄路線があり、現在も多少なりとも廃線跡が残っているとの情報を得たので、それらをひっくるめて眺めてくることにしました。

まあ、タイトルの通り、途中でトラブったので完走はできなかったのですが・・・・それについては後ほど語っていきたいと思います。

今回の出発の地は宮崎県宮崎市。ここから高速バスで、えびのICバス停まで移動します。



南宮崎の駅前にある宮交シティーより、熊本行きの高速バス「なんぷう号」に乗ります。そういえばここからバスに乗るのは初めてですね。

宮交シティーから1時間半ほど乗車し、宮崎と熊本の県境近くにある、えびのICで下車します。



宮崎交通の高速バスは、ホームページやバス停の掲示「折りたたみ自転車は輪行袋に入れてトランクに入れてください」と書かれているので、本当に有り難いですね(輪行OKかどうかは、バス会社に問い合わせないと判別できない場合が多い)。

ちなみにこの、えびの市には吉都線というJRの路線もあります。国鉄の時代には、博多から肥薩線吉都線を経由して宮崎まで行く「特急おおよど」などという特急もあったようですが、現在は特急はおろか、鈍行列車すら日に数えるほどしか運行していなかったので鉄道での輪行は諦めました。やるなら前日に都城に泊まるぐらいの気合いがないと難しいようです(他とのスケジュールの都合上、どうやっても無理だった)。



では、えびの市から薩摩川内市に向けて出発です!



だだっ広い、えびの高原をひたすら西へと向かって走って行きます。

今回は長距離が予想されるため、川内川に忠実に沿っていくと遠回りになってしまうようなところは、遠慮無くショートカットしていきますよ。

京町温泉の温泉街を抜ければ鹿児島県湧水町へと入っていきます。



「てのんで おじゃんせ 丸池湧水」

なんて言ってるのかさっぱりわからん・・・(調べてみたら、「てのんで」=「どうぞ」 「おじゃんせ」=「おいでくださいませ」という意味らしい)



えびのICから8km、ようやく川内川が見えてきました。えびのICのすぐ裏手から川内川は流れていたのですが、なかなか近づけず、ここでやっと合流です。

河口まで97kmですか・・・今回は下手すると、初の100km越えになるかもしれません。



川内川には、大抵はこのような気持ちの良い土手の道が整備されていて、サイクリング的には走りやすいと思います。特にサイクリングコース的な道では無いため、地図で確認しながら走って行かないと、突然道路が消滅したりすることもありますが、それもまた楽しめる人には楽しいかと思います。



平行して走っているのは肥薩線
肥薩線熊本県側の路線や、人吉~吉松の山越え区間は、2020年の豪雨災害で壊滅的な被害を受けて以来、復旧の見込みすら立っていません。残った、吉松~隼人間も特急の運転が終了となってしまい、将来的にはいろいろ厳しそうな路線ではあります。

そんな肥薩線栗野駅から、1988年まで山野線という路線が水俣まで走っていました。栗野の街からは山野線の廃線跡を追いかけつつ、進んでみることにしましょう。

大口方面へと向かう道路を通り、川内川を渡ってしばらく進むと廃線跡らしき道を発見。



田んぼのど真ん中を突っ切っていく感じ、線路っぽいですね!



緩くカーブする廃線跡には桜の木なども植わっていて、桜のシーズンに来れば素晴らしいかもしれません。

この桜並木の少し先には稲葉崎駅があったらしいのですが、特にそれらしいポイントもなく、完全に見落としてしまい、さらに進んで行くと快適だった廃線跡の道路も未舗装の道となる有様。



doveplusに限らず、折りたたみ式自転車は悪路に弱いので引き返そうかと思ったのですが、併走する国道268号線は交通量も多く、どっちもどっちだったため、廃線跡の砂利道を慎重に進むことに。

少し行くと、廃線跡が分かれていき、築堤の下を進んで行くと・・・



境川の橋脚が少しだけ残っていました。

この先で再び国道と合流し、ちょっとだけ行くと次の駅の湯之尾駅が見えてきます。



おそらく当時の線路とホームだと思います。車掌車もあり、これもおそらく現役当時はここを走っていた貨物列車にくっついていたのでしょう(未確認情報です)。

山野線の廃線跡は、あいかわらずサイクリングロードのような整備が全くされていないので、引き続き併走する道路を走っていくと、突然目の前に滝が現れました。



湯之尾滝。この真後ろには山野線の線路もあったことから、現役時代は列車の車窓から、全く同じアングルで、この滝を眺めることができたと思います。

実際に現地で見ると完全に風景に溶け込み、自然の力によって作られたとしか思えない滝なのですが、実はこの滝、江戸時代に洪水対策として作られた人工の滝とのこと。地図で確認すると、滝の反対側にある森になっている部分は川内川の中洲であり、その奥には立派な堰があり、言われてみれば人工的な地形なのですね。それはともかく、江戸時代にこんな大規模な土木工事が行われていたとは、驚かされます。



湯之尾滝の先で、山野線の廃止代替バスとすれ違いました。もし40年ほど前だったら、ここで国鉄時代の気動車とすれ違っていたのかもしれません。

このあたりから山野線は川内川から離れて薩摩大口駅へと向かって行ってしまうので、山野線とはお別れして川内川の土手を最短ルートで進んで行くことにします。



山野線と別れ川内川の土手を7kmぐらい進むと、国道267号線と交差します。この国道267号線こそが、もうひとつの廃線である、宮之城線とほぼ併走していた国道であり、ちょうどこの写真に写っている黄色い下殿橋に沿って宮之城線が走っていたとのこと。

ただ、痕跡はあまり残っておらず、さらに言えば宮之城線や国道267号線は川内川とは異なるルートで宮之城駅を目指していくので、廃線跡巡りは諦めて引き続き川内川と共に河口を目指していく形になります。

そしてここで、doveplusに異常発生・・・!

続きは次回へ。

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