中四国地方最大の都市である広島市の北部にある安佐北区は、可部周辺や高陽ニュータウンなどの一部の地域を除くと、政令指定都市とは思えないほどの農村地帯や山岳地帯が広がっており、その中にはあまりの不自由さに先祖代々住んでいたであろう歴史ある集落を捨てて離村してしまったような地域も点在しています。
そんな安佐北区の地図を眺めていたら、自宅からそれほど遠くないところに「高山」「丹原」という廃集落を見つけたので、行ってみることにしました。
この高山や丹原という集落は、広島市内から太田川に沿って30kmほど遡った宇賀という地区から山の中へ10kmほど入ったところにあり、地図で見る限りでは山奥の秘境という感じは無いのですが、実際に行ってみると「なぜゆえ、こんなところ不便な場所で暮らしていたんだ!?」と思わざる得ないぐらいには山奥の秘境感あふれる場所でした。
まずは自宅最寄りのバス停から広電バスに乗って太田川を遡ります。距離的には自宅から輪行なしでもアクセスできるくらいの距離ですが、現地での滞在時間を少しでも増やしたいので、ここは素直にバスで向かいます。
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乗車したバスは途中から豊平方面へと向かうバスだったため、豊平方面と加計方面の分岐点の安佐営業所で下車します。
バスを降りてDAHON doveplusを開いてサイクリングスタートです。安佐営業所から可部線廃線跡などがある太田川までの数kmは下り坂で、この区間は一気に突き進むことが可能です。ただ、道幅が狭い割には意外と交通量が多い道路だったので、次回からここを通過するのは控えようかなといった感じでした。
太田川の畔にある安芸飯室駅から7kmぐらい太田川を遡ると、宇賀大橋という吊り橋が見えてきます。
早速意味も無く渡ってみましょう。吊り橋があったら渡ってみたくなるのですよ・・・
この吊り橋は木製で幅も狭いから歩行者専用かと思いきや・・・
なんと、自動車通行OKという。
また、橋のたもとには、これから向かう宇賀峡のレトロな感じの案内図もありました。可部線も健在の頃に描かれたようなのでさぞかし古い案内図だろうと設置年を確認すると、なんと設置されたのは2001年で、実を言うとそこまで古くはないという案内図。まあ、2001年なら今から20年以上も前だし、もう十分に古い時代なのかもしれませんけども。
寄り道がすぎました。目的地へと向かいましょう。
宇賀大橋の少し手前に高山川という川が流れていて、この川に沿って登っていくと目的の廃集落があります。
川沿いの集落をすぎると宇賀ダムという水力発電用のダムが現れます。この古めかしい雰囲気が、すでに秘境感を感じさせてくれますね。実際にはダムの下には田んぼが広がっていたり、人が住んでいる家が点在しており、そこまで山奥という感じは無いのですが、このダムから奥は完全に無人地帯という人気(ひとけ)のなさが、そうさせてくれるのでしょう。
水位調整用のダムゆえに、水質はそこまで良くないようです。でも、この深い緑色の湖面はこれはこれで悪くないかもしれません。
ダムをすぎれば宇賀峡、ここから先は携帯は圏外となります。
ただ、宇賀峡周辺は渓流釣りの人がちらほらいたり、自分と似たような物好きな自転車乗がいたり、林業関係者のトラックが行き来したりと、廃村があるような無人地帯のわりにはそれなりに人がいます。
小さい滝をいくつも乗り越えて必死に登っていきます。普通のクロスバイクレベルの自転車ならば、余裕で突き進めそうですね。doveplusには厳しかったです笑
宇賀ダムから8kmほど進んだところで通称「丹原分かれ」という分かれ道までやってきました(広島は分岐点に「○○分かれ」という名前を付けるところが多い気がする)。ここで左に行けば丹原、右に行けば高山となります。どちらも廃集落ですが、道を見た限りでは丹原の方は既に廃道になりかけていたため、今回は高山方面にのみ向かうことにしました。
よく見ると丹原方面にも、かろうじて電気は通っている様子・・・しかしこのダートコースを自転車で進むのはかなり厳しそうな予感(カーブの先は道があるかどうかすら不明)。もし行くとしたら草木が枯れ果てて雪が降る直前の晩秋の頃が良いかな?
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丹原分かれから1kmほど高山川沿いに進んでいくと、目的の廃集落・高山集落にたどり着けます。
廃集落というからには、朽ち果てた萱葺き屋根の古い家が点在しているのかと思いきや、今でも普通に人が住んでいそうなぐらい綺麗な家が建っています。なんでも聞くところによれば、現在は人が住んではいないものの、定期的に元住人が戻ってきて家を管理したり、季節によっては帰省して暮らしているとのこと。なるほど・・・
車が止めてある家などもありますが、ナンバーは外されているので、いまは使っていないようです。というか、全部が全部「定期的に元住人が管理している家」というわけではないようです。
まあ、人が住んではいないとはいえ、誰かの家であることには変わりなく、土足で勝手に踏み込むようなことはしないでおきましょう。なので、あんまり写真も撮っていないです。
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最後に、集落最奥にある大歳大明神にも立ち寄ってみました。
ほとんど誰もお参りしていないらしく、メイン参道の石段は歩けなくなっていましたが、誰かが脇道を作ってくれていたおかげで本殿まで登ることが出来ました(それでも夏場は鉈持って草刈りしながら進まない無い限り、歩くのがきつそうですけど)。
おそらく元住人の方が管理しているのでしょう。ちゃんと掃除もされていました。
明治31年・・・!
では戻りますか。
帰り際に広い空き地を見つけたので立ち寄ってみたところ・・・
小学校跡でした。高原小学校という名前なので、たぶん「高山」「丹原」の2集落から名前を取って高原小学校という名前にしたのでしょう。
元校門の前に小さい碑があったので確認してみると、昭和50年頃には廃校になっていたようです。今ですら麓まで降りるにも狭い離合困難な林道を10kmぐらい行かないと脱出できないのに、道路が整備されていなかった以前に車すらなかった時代にこんなところに赴任となった先生は、休みの日とかやることなくて発狂していたのでは・・・?
その後は、一気に林道を駆け下り、太田川に沿って自宅へ向けて30kmほど突き進んで帰ったのでした。
次回は丹原集落跡に・・・行けたら行ってみたいところではありますね。