NISHISAITAMA PROJECT

傘 傘傘⊂⊃/ ̄\ ⊂⊃ 傘傘傘傘

志布志線廃線跡を走って志布志へ・前編

前回からの続きです(が、別の日の朝です)。


日豊本線に乗って宮崎駅から、宮崎南西部にある都城市まで普通列車で移動し、西都城駅で降りてみます。



ほぼ県境に位置する西都城駅を境に、日豊本線普通列車は激減してしまうため、この先の鹿児島方面に特急を使わずに移動するとなると何かと厄介な駅なのですが、今回はここで下車するので問題ありません。



なんとなく小綺麗にリニューアルされた感がある駅舎です。ただ、まわりの雑草がすごいですが。

ところでこの西都城駅、1987年まで志布志線という国鉄の路線が志布志駅まで存在していました。現在は廃止となってしまい、その廃線跡の一部がサイクリングロードとして整備されており、今回はそちらを走って見たいと思います。

ちなみに、10年以上前に志布志から、まさにこの志布志線の廃止代替バスに乗って都城まで移動していて、そのとき廃線跡がサイクリングロードになっているし、チャリで走ったら楽しそう・・・」なんてぼんやり思っていたのですよね。まさか本当に走れる日が来るとは。

西都城駅はご覧の通りの高架駅で、志布志線が廃止になる直前まで高架駅の端っこから出ていました。現在、志布志線が走っていた部分の高架線のほとんどは撤去されているのですが、ごく一部だけまだ痕跡が残っています。



志布志線が廃止になる7年前の1980年に国鉄や行政がわざわざ税金を投入してまで高架路線を造ったぐらいなので、当時は志布志線を廃止させる計画が無かったのかもしれません(廃止する予定があるなら、高架化工事の時点で廃止にするはずだし)。


都城の街外れを流れる大淀川支流・萩原川の土手付近から、志布志線の廃線跡を活用したサイクリングロードである、志布志線ウエルネスロードが始まります。



こういう地方のサイクリングロードはせっかく作っても結局使われないことも多々あるのですが、この志布志線ウエルネスロードはちらほらと地元の人がウォーキングやサイクリングに利用しており、また路面も綺麗に整備されていて、かなり快適に走ることができました。



鉄道の勾配標の形をしたキロポスト(?)のようなものが設置されています。

そんな志布志線の廃線跡はサツマイモ畑の中をまっすぐ突っ切っていきます。黒霧島の工場も近いし、ここで掘り出されたサツマイモは焼酎の原材料にでもなるのでしょう。

西都城駅から4kmほど行くと、志布志線の最初の駅だった今町駅が見えてきます。



プラットホームが健在であるほか、蒸気機関車などもあり、駅跡だったことが一目瞭然です。



蒸気機関車が設置されている線路は、おそらく当時使われていた線路のように見えます。こういう形で、できる限り当時の姿を残してある点はかなり評価できますね。

引き続き廃線跡を走っていると、志布志線の廃線跡は国道269号線に吸収され、歩道の一部のような形で平行する形になります。



県境を越え、鹿児島県曽於市に入ると、今まで志布志線ウエルネスロードと呼ばれていた道がマインドロード末吉と呼び名が変わります。



この辺から下り勾配となるためdoveplus的にもさらに快走可能に。

そんな中、目の前に現れたのが末吉駅。



線路や構内踏切、駅名標なども残っている! ように見えますが、こちらは全部後付けのモニュメントで、実際の線路とは異なります。でも、こういう地方の場合は、完全に更地にしてパチンコ屋とかになる可能性すら十分あっただろうし、これはこれでありでしょう。



こちらが実際の廃線跡廃線跡曽於市コミュニティバスが走っています。

西都城駅からこの辺まで、比較的住宅も多く、鉄道路線として残しておいてもそれなりに利用客がいたような気がしますが、県境があることで一番のお得意様となる高校生の移動が見込めなかったのと、第三セクター化しても県をまたぐことで経営も難しかったことを考えると、やはり廃止せざる得なかったというのは致し方ないという感じもします。

 

末吉駅を過ぎると、沿線の人家も減っていきます。



よく非電化のローカル線にある、農業用水が線路をまたいでいるアレです(正式名称がわからん)。

廃止されてからかなり立っているのに、こういう橋などが今でも現役で活用されているとは、なかなか楽しませてくれますね。



切通の中を行く志布志線。傾斜もそれなりにあり、志布志方面から都城へと向かう場合、この登りはそれなりにキツかったのでは。



3つめの駅、岩北駅。

プラットホームに手すりがあるのは、おそらく現在も現役の駅トイレを夜間帯に利用する地元民が転落しないように配慮しているのでしょう。なんでも、近所の公民館にトイレが無く、この岩北駅のトイレを今でも使っているとのことで・・・

 

西都城駅から末吉駅付近の状況を見るからには廃止しなくてもなんとかなったのではとか思いましたが、この辺まで来ると人家も少なく、国道を行く車もさみしい感じになってきたので、やはり志布志線が廃止されたのは止む得なかったのかもしれません(交通量が少ないのは、無料の都城志布志道路が併走して整備されているからと言うのはあるかも)。

でもまあ、実際に志布志線が現在も健在だったら、宮崎駅から志布志駅まで走っている日南線と接続して、周遊ルートで鉄道を走らせることもできたし、それこそ特急・海幸山幸も宮崎と日南を往復するだけでは無く、宮崎起点で一周するルートもできたかと思うと、惜しい路線を無くしたようにも見えます。

 

ちょっと語りすぎましたね。

少し長くなってきたので、続きは後編へ。

←新しい記事 / 古い記事→