NISHISAITAMA PROJECT

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鞆鉄道廃線跡を探しながら鞆の浦へ

現在の自宅がある広島市内から、同じ県内にある遠い観光地の一つに鞆の浦があります。こちらは道のりでも100km以上離れているので、県内にありながらもまだ1回しか行ったことがなく、doveplusを抱えての輪行では一度も行ったことがなかったため、18きっぷを使って改めて行ってみることにしました。

広島市内のJR最寄り駅から在来線を乗り継ぎ2時間半。やってきたのは福山駅です。在来線とはいえ、2時間半も電車に乗れば関東なら東京から静岡県富士駅ぐらいまで行けますね・・・

駅前でdoveplusを展開したら、目指すは鞆の浦です。



この場所、昭和29年まで、福山駅と鞆駅を結ぶ鞆鉄道福山駅があったとのことで、今回はある程度は鞆鉄道廃線跡にも沿いつつ、鞆の浦まで向かってみたいと思います。

とはいえ、廃止されてからもう70年ぐらい経過していることもあって、ほとんど遺構は残されておらず、今回は鞆鉄道廃線跡やそれらしき遺構はほとんど発見できなかったため、そういうのを期待されている方は他のホームページを参照して頂いた方が良いかと思います。

完全に鉄道の痕跡が消えてしまった福山市内を走っていると、まず現れたのは上駅の跡。



小さく案内が残されているだけで、特に何も残されていないようです。



不自然に歩道の広い県道があり、これは廃線跡かと思いきや、こちらは無関係とのこと。完全にロストしてしまったので諦めて先へと進みます。



エフピコアリーナ。食品トレー容器大手のエフピコは福山が本社で、エフピコの文字は市内でちょこちょこ見かけます。



水呑大橋を渡っていると、鞆の浦行きのトモテツバスが追い抜いていきました。鞆鉄道トモテツバスというバス会社としては現在でも健在で、福山と鞆の浦を結ぶバスは鞆鉄道線の代替バスでもあります。

代替バス福山駅から30分毎に出ており、鞆鉄道線がもう少し体力のある会社だったら、今でも鉄道路線として生き残っていた可能性はあったかもしれませんね。福山市といえば新幹線のぞみも停車する広島第2の都市で、江戸時代より前は備後国の中心でもあったわけで、山奥で細々と運行しているようなローカル線にくらべれば条件は良さそうですし(とはいえ鞆鉄道事件なんていう無条件に賃金カットするような事例もあるぐらいなので、厳しいことには変わりないのかもしれませんが)。

水呑大橋を渡ると河川敷にはサイクリングロードのような道が見えたので、そちらを走ってみましょう。



土手の上の堤防道路は交通量も多く歩道などもないので、自転車はこっちを走ったほうが良さそうです。鞆鉄道は堤防の反対側を走っていたようで、そちらを行くべきだったような気がしないでもないですが、交通量が多く信号もない道路を横切るのが面倒くさくなったので、こちらの河川敷をしばし行くことにします。

小水呑橋のところで土手を這い上がって、街中を進んでみましょう。しばらく行くと廃線跡の盛土っぽい幅の狭い道路が現れます。



ただ、調べてみても廃線跡かどうかよくわからず(廃線跡ではないとは言い切れない)、疑問符を頭に浮かべながら先へと進んでいくと、途中で行き先を失ってしまいました。なので、この先は諦めてバス通りを行くことにします。



葛城バス停(katsuragi)。

ここは鞆鉄道線の葛城駅があった場所で、複数の情報筋に寄れば、こちらはホームの跡の一部だとか。

さらに進むと、バス通りは平成の時代に作られたと思われる立派なバイパスに吸収され、小さな峠越えとなります。調べてみれば線路もここを通っていたようですが、痕跡は全くありません。



峠を超え、直線の下り坂を一気に下っていくと、目の前には瀬戸内海が広がります。



鞆鉄道もまさにここを通っていて、当時の列車内からの眺望はなかなか良かったのではないかと想像できます。



この眺めの良い海岸線を一気に走りきれば、ともてつバスセンターがある鞆の浦のバス停まで到達できます。ちなみに鞆鉄道の終点はここではなく、この少し手前のトモテツバスの車庫があったところだったそうで、見逃してしまいました・・・まあ、鞆の浦自体は、また近いうちに再訪しようと思っているので、そのときにでも確認しましょう。



鞆の浦到着!

さて、鞆鉄道廃線跡巡り(というほど巡ってもいないけど・・・)は、この辺で終わりにして、鞆の浦にある仙酔島という離島へ渡ってみます。ともてつバスセンターの向かいの駐輪場にdoveplusを止めて、仙酔島行きの船に乗り込みます。

続きは次回へ

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