前回からの続きです。
日間賀島より、今度は名鉄河和線の河和駅の近くまで行くフェリーに乗って河和駅を目指します。この航路は12年前に、篠島に訪問した時に乗ったルートと同じになります。
河和港に接岸後、北の方を眺めてみたら、なんと虹が出ていました。あっちの方は雨が降ってそうですし、今回は雨が降らなかっただけでも本当に良かった・・・!
さて、河和港から河和駅までちょろっと歩き、名鉄河和線に乗ります。チタイチはどうしたかって? 日間賀島を走りまくって満足したので、もうチタイチはおしまいです。
以前は河和港から河和駅までの無料のシャトルバスがあったような気がしますが、現在は無くなったようです。とはいえ、歩いても数分なので大雨でも降っていない限りは特に問題無いかと思います。
そんな、名鉄河和線に乗って向かった先は・・・
名古屋ではなく、知多半田駅。
ここで降りたのには理由があり、もう少しだけ寄り道したいところがあるのです。
10年以上前、ちょうどこの半田の「知多娘。」の日本酒イベントになぜか参加することになり、その時に立ち寄りました。まさかまた立ち寄る日が来るとは・・・
というか、知多娘が一発屋にならず、現在もちゃんと元気に継続して活動していると知ってちょっと安心しました。あの当時は、今では当たり前になった二次元コンテンツとのタイアップ自体珍しく、それだけでも挑戦的な存在でしたね。
例のイベントを開催した日本酒の造り酒屋である国盛酒造さんの横を通り、海の方へと進んで行きます。
こんなところに非電化鉄道路線が! こちらは簡単に説明すると衣浦臨海鉄道半田線という現役の貨物専用鉄道路線で、今でも1日1往復程度走っているとか(公式HPにダイヤも載っています)。
衣浦臨海鉄道の高架線をくぐってしばらく走ると、今回の目的地が見えてきます。
衣浦トンネル料金所!
このトンネルこそが今回の目的地であり、これはなにかと言えば半田市と碧南市を結ぶ海底トンネルで、ありがたい事に自転車や歩行者も利用することができます。しかし、見えてきた料金所は自動車専用道の入り口なので、自転車と歩行者はもう少し地上を進む必要があります。
こちらが自転車歩行者道入口。
関門海峡にある関門人道トンネルと同じような感じで、自動車道の横に別の小さいトンネルが設置されていて、そこを自由に通行することが可能となっています。なお、自転車も無料です(参考までに、関門トンネルは自転車は20円です)。
観光地でも何でも無い臨海地区のトンネルなので、誰もいません。
県境でも何でも無い中央部分ですが、こういうのはお約束なので笑
600メートル近い海底トンネルを徒歩で抜け(チャリに乗って良いかどうか不明だったけど、監視カメラがあったので念のため歩いた)、碧南側の出口に到達!
そしてここで天気は快晴・・・日間賀島上陸時に、この天気になってくれれば最高だったな!
今回、なんでわざわざ知多半田駅で下車して衣浦トンネルなどを通ったのかと言えば、もちろんこのトンネルそのものに興味があったのも一つありますが、目的がもうひとつありました。
それがこの、衣浦トンネルの碧南側の出口から2kmほど離れたところにある碧南駅であり、ここから出ている名鉄三河線というまだ乗ったことのなかった路線に乗車しておきたかったのです。
知多半田駅から碧南駅まで、だいたい7km弱。徒歩だと少し遠い距離でも、自転車むしろ走り足りないくらいの距離です。
では、碧南駅から電車に乗りましょうか。
現在は三河線の終着駅となっている碧南駅も、2004年までは碧南駅から吉良吉田駅まで線路が続いていて、ここは途中駅でした。残念ながら現在は廃線となってしまい、ここから先へ鉄道では行くことができません。
一方で知立(Chiryu)方面は猿投まで健在なので、こちらに乗って知立へと向かいます。
そのまま乗った電車の終点の知立まで乗り通し、名鉄名古屋本線に乗り換えて豊橋まで移動し、新幹線に乗ります。さすがにもう今日はお腹いっぱいだし、そもそも18きっぷではないので豊橋から在来線で帰るようなことはしません笑
10分後ぐらいに出るこだまに乗っても、50分後に出るノンストップひかりに乗っても、到着時刻はほぼ同じだったので、空いているであろうこだまに乗って帰りますか。
豊川稲荷が近いこともあって、稲荷寿司が食べたくなったんですよ・・・ということで、ビールとともに軽く一人で打ち上げ。
東海道新幹線のこだまは自由席が多く、基本的に混雑しないので、輪行袋などを抱えた旅行者にも優しい乗り物です笑
新横浜で下車したところ、東急新横浜線などという見たことない路線が増えていました。もしかすると、この東急新横浜線を使えば、副都心線などを使って西武池袋線まで行けるのでは・・・!?
と、一瞬思いましたが、既に切符はJR経由で購入済みだし、自転車持って都心部に乗り込む元気もないので、素直に横浜線経由で埼玉へと戻りました。