NISHISAITAMA PROJECT

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今福線のコンクリートアーチ橋を見に行ってみる

現在の広島の自宅の近くを走るJR可部線は、2003年までは三段峡駅まで走るそれなりに長い路線でした。計画では、そこからさらに北進して島根県の浜田まで行くはずだったのですが、いろいろあってご破算となり、三段峡までの線路すらも廃止となって現在に至っています。

一方で島根県側の路線は、戦前から今福線という名称で工事が進められ、山陰本線の下府(Shimokou)駅から分岐し金城(Kanagi)町の途中まではほぼ完成という状態まで持って行けたにもかかわらず、運悪く戦争やら水害やらあって結局は鉄道が走ること無く放棄されてしまいました。

現在でもその痕跡の一部が残されていて、しかも場所によってはその線路が敷かれる予定だった橋の上などを歩くことができるとのこと情報を得たこともあり、実際に行ってみることにしました。

もしかしたら可部線の浜田行き特急が走ったかもしれないルートと平行する形で走る、広電の高速バスに乗って、浜田方面へ移動します。



途中の寒曳山PAで休憩。出発前日には11月中旬だというのに広島県でも山間部では雪が積もるほど降ったようで、芝生の上や日陰には、若干雪が残っていますね。

10分ほどの休憩後、バスは発車して県境を越えて島根県へと入り、金城バス停に到着。



ほぼ高速道路を走る路線なので、広島から金城まで、途中休憩を入れても1時間ちょっとで移動可能というこの高速バス。こんなに速く移動できてしまうなら、仮に可部線が浜田まで全通していたとしても、勝負にならなかった可能性が高いですね。少なくとも、広島市内の可部から加計ぐらいまでは直線で結ぶぐらいの大改造をする必要があっただろうし(実際にその計画もあったらしい)、浜田や益田にやり手の総理大臣でも登場しない限り、当時の国鉄の力ではかなり無理な話だったように見えます。

与太話はこの程度にして・・・doveplusの準備も整いましたし、今福線の未成線跡巡りへと繰り出しましょう。

金城バス停から県道5号線の方へと下っていくと、さっそく今福線の遺構が見えてきます。



下長屋トンネル。

このトンネルを突っ切っていくと、これから拝見する予定の反対側のコンクリートアーチ橋まで行けるのですが、厳重にフェンスで閉ざされているトンネルを通ることはできないため、反対側へと山を越えて迂回します。



トンネルから反対の広島側の未成線跡は道路として整備されていて、車で走ることもできます。ここは以前、ちょっとだけ訪問したことありました。

ic-yas.hatenablog.com


では、下長屋トンネルの反対側を目指してみましょう!

島根県道5号線を浜田方面へと進み、小さい峠を越えると開けたところに出ます。



この立て看板の反対側には佐野小学校と保育園があり、その付近が下佐野駅予定地だったとのこと(佐野駅との文献もあり)。

今福線の未成線跡はここでも道路に転用されていて、下佐野駅から下長屋トンネルまでは、ほぼそのまま車や自転車で進むことができます。そんなわけで、ここでは列車に乗っているつもりで、未成線をdoveplusで走ってみます。



ローカル線が走っていたような感じの道路が続いています。手すりなども新設されて転落の危険性も無いし、安全に未成線跡巡りができますね。ただ、車同士のすれ違いは難しいので注意しましょう。

そしてこの橋、下に潜り込むことができます。



通称「おろち泣き橋」と呼ばれているこの橋は、アーチの直下、川のせせらぎの音が反射して大きく聞こえる地点が1つだけあり、その音が「おろちの泣き声」に聞こえることから、この名前が付いたらしい・・・

実際にその場で聞いてみると、特定の地点でせせらぎの音が何倍にも大きく聞こえるので、けっこうびっくりします。

youtu.be


一応動画も撮ったのですが、ちょっと分かりにくいかな? 0:09付近から急に音量が大きくなり、そこが「おろちの泣き声」たる理由。ヘッドフォンで聴くと、なんとなく分かるかもしれません。

未成線跡を進んで行くと、左手に第二下府川橋梁が見えてきます。



さっきのアーチ橋にくらべると、最近つくられた橋っぽくみえる第二下府川橋梁、これは戦後に改めて造り直した今福新線の線路であり、ちょうどあの橋の右詰で、旧線と新線が合流していたとのことです。

おろちの泣き橋あたりも雰囲気からも想像できるとおり、戦前に造られた今福旧線は線路規格が低くかった上に、ほとんど完成していた路盤が水害で大ダメージを受けてしまったため、それらは放棄し、国鉄は全くの新しい高規格な新線を造り直していたのでした。

第二下府川橋梁を渡ってみましょう。もちろんここも遊歩道的な感じで自由に渡ることができ、その先には第一下府川橋梁と、下長屋トンネルのもう一方の坑門が現れます。



よく見ると右側にもアーチ橋が見えますね。左側の立派な直線の橋とトンネルが今福新線で、右側のアーチ橋は今福旧線となります。

もしも新線側で鉄道が開通していた場合は「第一下府川橋梁上から一瞬だけ旧線のアーチ橋が見えるスポット」として、一部の鉄道マニアの間では有名なポイントになっていたような気がしますね(西武池袋線元加治駅近くの旧入間川橋梁みたいなやつ)。

第一下府川橋梁から先はご覧の通りトンネルがあり先に進むことはできず、右手に分かれていった旧線は思いっきり立ち入り禁止になっていたため、この辺で切り上げて引き返しましょう。

佐野駅まで戻り、今度は下府駅へ向けて島根県道301号線を進んで行きます。この県道301号線は、一つ隣の有福駅(宇野駅との説もあり)まで今福線と同一ルートで行くことが可能です。

佐野の集落を過ぎて山の中に入っていくと、道路の脇にフェンスで閉ざされたトンネルの入口が現れます。



この短いトンネルは今福第五トンネルで、今でも地震計が設置されていて、一応有効活用されているとか。JR西日本時代はおろか国鉄時代ですら鉄道が走ったことの無い、過去の遺産なのにJR西日本が管理しているのが面白いですね。固定資産税的な税金もJR西は支払っているのか不明ですが(だとしたら、JR西にとっては迷惑な話だと思いますけど)。

もう少し進むと、今度はまた4連アーチ橋が見えてきます。



このアーチ橋の感じ、かつて北海道にあった士幌線の末端部分にあったアーチ橋とデザインがよく似ているような気がします。


アーチ橋を渡ってきた今福線と交差し、もうひとつトンネルを抜けると最後のアーチ橋が出現します。このアーチ橋は今までのアーチ橋とは異なり、一見すると壁に埋まっていて、いわゆる渡らずの橋になっています。



橋の上を拡幅して県道としても使用されているため、通行することも可能です。



ここは素直に鉄道跡を進んで行きます。戦前のローカル線とはいえども、鉄道が通るためにはそれなりにまっすぐな線路を敷く必要があるから、いつの時代に造られたかすらも分からない古い車道よりも、こちらの方が走りやすいです。

最後のアーチ橋を抜けると大きな見所なども無くなるので、あとはもう一気に下っていくことになります。



ときたま橋脚が現れたりしますが、今までいくつもの立派なアーチ橋を見てきてしまうと、さすがにインパクトはないので、この辺はさっくり飛ばして行きましょうか。

これを見るに、今福線の未成線巡りは、下府駅から第一下府川橋梁へ登っていく感じで巡っていくと、少しずつ盛り上がっていき、クライマックスで新旧未成線の交わりなどに出会えるので、今回の逆ルートで進んだ方が楽しめるような気がしました。

 

佐野駅から7kmで、有福駅の予定地に到着(実際の駅予定地は、600メートルぐらい浜田よりの郵便局がある場所付近)。



駅名は有福なのに、この地域は宇野と呼ばれる場所で、有福は山一つ越えた反対側の町となります。

なんで山の反対側の町の名前が駅名候補に挙がっているかと言えば、それはおそらく、そこには有福温泉という温泉地があり、その玄関口として設定しようとした思惑があったからだと推測できます。実際に鉄道が開業したら、駅名は有福温泉駅、あるいは有福温泉口駅みたいな名前になっていたでしょう。

というわけで、ここまで来たらもうやることは一つですね。ここで未成線巡りは打ち止めにして、有福温泉へと向かってみましょう! 自分の中では未成線巡りより温泉巡りのほうが重要度が高いのです笑

続きます

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