九州滞在の帰り道、時間的にも体力的にも少し余裕があったので、寄り道して帰ることにしました。
宮崎から帰るとなると、行きと同様、帰りも日豊本線で小倉を目指すことになるのですが、小倉駅の少し手前にある行橋駅から平成筑豊鉄道田川線が出ていて、これに乗って筑豊の奥地を経由して油須原線の未成線などを追いかけてみようかなと思った次第なのです。
なお、初めに断っておきますが、今回は準備不足でほとんど未成線の遺構を見つけられなったことに加え、途中で雨が降ってきて戦線離脱してしまいました。なので、純粋に油須原線の未成線情報を期待されている方は、他の方の書いた良質な記事を参照した頂いた方が良いかと思います。
宮崎県内の拠点からは、いつも通り(?)に特急にちりん→ソニックと乗り継ぎ、行橋駅で下車します。行橋駅からは、同一ホームにある平成筑豊鉄道の乗り場から田川線にお乗り換え。
日曜日の午前中ということで乗客もまばらかと思いきや「乗る事が目的の客」が数名いた他、最近できた途中駅の「令和コスタ行橋駅」から、ショッピング帰りの地元客もある程度乗車していて、まあまあな乗車率でした。
そんなわけで、doveplusというチャリも持っていたことから車両の最後部に移動し、後ろの風景を眺めながら移動します。
田川線は元々は筑豊で採れた石炭などを苅田港へと運搬する、いわゆる運炭鉄道として開業していて、最盛期には石炭を満載した長大貨物列車がひっきりなしに往来していたとのこと。もう少し石炭全盛期の時代が続けば田川線もJR美祢線やJR石勝線のように幹線扱いとなり、さらには同じ平成筑豊鉄道の伊田線のように複線化していたかもしれません。
実際に昭和の初め頃には田川線の複線化の計画はあったようで、その気になれば線路をもう一本敷設できそうな箇所がちらほらあったように思えます。
とはいえ昭和の終わりには石炭はおろか、人間すらそんなに乗らなくなってしまった路線なので、国鉄が運営していた頃には一度廃止されてしまい、それを第三セクター化することでなんとか存続しているのが現状だったりします。
この駅に限らず、昔の国鉄では絶対に造らないようなネタっぽい駅も多数あったりして眺めていて面白いですね。利用客がいるかどうかは不明ですが。
田川線の列車は田川郡赤村に入っていき、油須原という静かな無人駅に停車します。田川線自体はすでに完乗済みですし、こちらで降りてみましょう。
降り立ったこの油須原駅は、油須原線という未成線の終着駅でもありました。
油須原線は豊前川崎駅と油須原駅を結ぶ路線として完成間近のところまで出来ていたのですが、今更新しい路線を造ったところで運ぶ石炭も無ければ乗る人間もいないだろうという流れになって、結局、鉄道が走ることなく闇に葬り去られてしまいました。
今回はそんな未成線に沿ってdoveplusで走ってみたいと思います。
実に渋い駅。
案内によれば、なんと明治28年の開業当時から残る九州最古の駅舎だそうです。日本国内で見ても開業年数で言えばトップ10入りするぐらいの古い駅舎かもしれません(調べてないので詳細は不明・・・情報求む)。
九州にある古い駅舎と言えば、肥薩線の嘉例川駅などが有名ですが、あちらは明治36年開業で鹿児島県では一番古い駅舎(これでも恐ろしいくらいには古いですけども)。油須原駅はそれよりも8年ぐらい前に開業したので、それこそ文字通りに九州最古の駅舎なのです。
駅舎以外を見ても、油須原駅(yusubaru sta.)という語感も九州らしくていい名前だし、この駅に出会えただけでも寄り道してきた意味はありましたね。
・・・
それでは油須原駅を出てから県道34号線を西へ、立石峠を越えて大任町を目指していきます。
ところで、油須原線の線路は油須原駅が発着点ではあったものの、実際の田川線との分岐は一つ隣の赤駅付近にあり、しかもその周辺には未成線ながら油須原線の遺構が数多く残っていたらしいのです。
いち早く目の前にある峠を越えてやるぜ! という前のめりな勢いで走っていたため、その辺の遺構をごっそり見落としてしまいました・・・
まあ、いつものごとく、路線名と主要な駅名ぐらいしかチェックせず、ぶっつけ本番でやってきてしまったので、かなりやらかしてしまった感があります。
小振りな立石峠を軽々越えれば大任町。こちらの大任町は以前からいろいろ曰く付きの町でもあるので、道路を自転車で普通に走行するだけなのに、なぜか妙に緊張してきます。
峠道を一気に下り、大任町の中心地っぽいところを走ると見えてくるのが、国鉄添田線の廃線跡。添田線は深名線や白糠線、美幸線などの北海道の無人の原野をゆく名だたる大赤字路線と肩を並べるくらいの路線であり、そんな添田線の中心だった駅がこちらの大任駅となります。
大任駅では油須原線と交差して乗換駅となるはずでした(北海道でいうところの、石勝線・室蘭本線の追分駅のような感じ)。今となっては添田線は廃止、油須原線は完成せずで、乗り換えどころか線路すら存在していませんが・・・
引き続き、油須原線に乗っている気持ちで豊前川崎駅を目指します。
大任町を横断して再び山を越えると、お隣の川崎町へと入っていきます。
参考までに、油須原線自体はもう少し南側を迂回していたので、多少遠回りでもそっちから行くべきだったかもしれませんが、今となっては後の祭り・・・
しばらく進んで行くと現役の線路とぶつかります。
雑草がすごいですが廃線ではなく、今でも現役の日田彦山線の線路。しかしながら、現在では名前に反して日田駅にも彦山駅にも行くことができない鉄道路線になってしまいました(添田駅から先はBRTひこぼしラインとして再開業してます)。
日田彦山線の線路沿いにしばらく進んで行くと、油須原線との接続駅になるはずだった豊前川崎駅が見えてきます。
油須原駅から12km程度の距離なので、引き続き油須原線が乗り入れる予定だった上山田線や漆生線の廃線跡も走ってみようかと思った矢先、急に大粒の雨に降られてしまったあげく、1〜2時間に一本しか来ない貴重な小倉方面の日田彦山線がすぐやってくることがわかったため、油須原線巡りはここで打ち切って帰ることに・・・
ちなみに上山田線廃線巡りは10年ぐらい前、当時小倉在住だった高校時代の友人の車でそれなりに訪問しています。さすがに10年も経てばいろいろ変わっているだろうし、改めて廃線跡を拝見したかったのですが、この天気では厳しいですね。
今回ははじめから筑豊地方は小雨模様だったから仕方ないというのもあるけれども、それ以上に下調べしなさすぎて不完全燃焼な感じもあるし、チャンスがあれば再訪したいところ・・・
小倉へ向けて出発。
日田彦山線も最後に乗ったのは前述した10年前の上山田線廃線巡りの時以来。さらに田川後藤寺から小倉の区間は新卒入社後の新人研修で小倉に飛ばされた遥か昔の時の乗車になるため、車窓の風景などもぼんやりとしか覚えておらず、実質、初めて乗るような気分で車窓を眺めてました。
呼野駅付近から見える住友大阪セメント小倉鉱山。石灰岩の山が真っ平らになっています。埼玉県の秩父にある武甲山もいずれはこうなるのだろうか・・・
日田彦山線は北九州モノレールの車両基地の脇などを通り、城野駅で日豊本線と合流し、小倉駅へ。
つい先日の行きがけに、にちりんシーガイアのグリーン個室で同じ風景を眺めていましたが、毎日が充実しすぎた旅行だったおかげで、たった数日前のことなのにはるか昔のように思えます・・・って、そんなことより、さっきまで雨降っていたはずなのに晴れてくるとは。
小倉駅に到着。
この先は新幹線で帰るつもりでしたが、予定していた行程を途中で切り上げた関係上、かなり時間に余裕があったこともあり、途中までは節約も兼ねて在来線で帰ることに。
ご存知、小倉駅の「かしわうどん」
関西風味のだし汁に甘めの味の付いた鶏肉が乗っている小倉駅立ち食いうどんの名物メニューで、もちろんこれが美味い。割り箸の袋にもデリシャスと書かれているくらい美味いです(?)。
では、腹も膨らんだところで気合いを入れて在来線で帰りましょう。
お隣の門司駅から関門トンネルをくぐって下関へ渡り、そこで山陽本線に乗り換えてひたすら東へと順調に進んでいきます。
ところが、徳山駅手前でトラブル発生! なんと、先行していた列車が南岩国駅で接触事故が発生してしまい、乗っていた電車が柳井止まりとなり(柳井は徳山と岩国の中間地点ぐらい)、広島方面への復旧にはしばらく時間がかかるとのこと。しかも迂回路として使えそうな岩徳線との接続もよろしくなかったため、徳山駅から新幹線で広島へ帰ることになりました(もちろん全額実費で)。
徳山から広島まで、のぞみでわずか30分弱。在来線だと順調に行ってもこの時間だと乗り継ぎの関係上2時間以上かかっていたことが事故前から実は判明していたので、仮に山陽本線が順調だったとしても、ここから新幹線で帰っていた可能性があります。18切符ではないので、1760円出せば快適な新幹線で1時間半も短縮できるわけですし。
とまあ、こんな感じで最後の最後で若干トラブルに巻き込まれそうになりつつも、無事に(少額ですけど)社会人マネーを投入して広島市内の自宅へと戻れたのでした。
未成線を探しに行ったのにほとんど遺構を見つけることができず、しかも途中で雨が降って戦線離脱してしまうとい煮えきれぬ旅程だったと思っていましたが、いざ振り返ってみれば、初めて筑豊の地をdoveplusで走り回れたし、乗る予定のなかった日田彦山線にも乗ることができたし、なんだかんだで楽しむことができたと思います。
それに宿題を残しておけば、それはそれでまた訪問する口実になりますし、結果オーライですね!