NISHISAITAMA PROJECT

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勝田線廃線跡&未成線を走ってきた 前編

特に遠出の計画を立てていなかったゴールデンウィーク初日のこと。天気を見たら良い感じに晴れていたし、それならばと、前々から行ってみようと思っていた国鉄勝田線の廃線跡を巡ってきました。

国鉄勝田線は博多駅の一つとなりの吉塚駅から、福岡空港の裏側を通って筑前勝田駅まで延びていたローカル線で、博多駅福岡空港の近くの住宅地というロケーション的にも悪くないところを走っていたにもかかわらず、なぜか廃止になってしまった残念な路線。今でも「勝田線は廃止にしなくても良かったのではないか?」などと言われているような路線なのですね。

さらに調べてみると、当初は終点の勝田駅から山を越えて太宰府まで結ぶ計画もあったとのことで、これらの廃線跡未成線をひっくるめてチャリで一気に確認してみることにした次第です。

というわけで自宅最寄り駅から電車に乗って、やってきたのは篠栗線柚須駅・・・

なんでまた起点の吉塚駅ではなく、柚須駅からスタートしたのかと言えば、もともと勝田線は途中まで篠栗線の線路と平行していて、柚須駅付近で分岐していたとのこと。廃止当時は柚須駅は開設されていなかったため、厳密には勝田線としては無関係の駅ではあるのですが、仮に路線が存続していたとしたらこの駅が分岐駅になっていた可能性は高いですね。



勝田線の「電車」に乗ってやってきた気分で、柚須駅で下車します。



柚須駅の駐輪場として勝田線の廃線跡が活用されていました。

しばらく道路の歩道のような状態が続きますが、パチンコ屋やホームセンターを越えたあたりで自転車も通過できる遊歩道として廃線跡が出現します。



そんな遊歩道のスタート地点が御手洗駅跡。住宅地のど真ん中で、今でも鉄道駅があれば、普通に利用客が多そうな気がします。



ツツジに囲まれた廃線跡を走って行きます。

ちなみに自転車通過はOKですが、路面はアスファルトではなく土の道なので、雨天の直後などは注意した方が良いかもしれません。



この辺から福岡空港国内線ターミナルまで1kmほどで、空港連絡鉄道を造っても良さそうな距離。とはいえ地下鉄空港線の方が博多駅直結で便利だし、空港連絡鉄道ができる未来は無理があるかな・・・



適当に廃線跡を進んでいくと広めの公園があり、これが上亀山駅の跡地。わりと広々しているし、線路と駅舎、ついでに駅前広場も全部つぶして公園にしたのかもしれません。

引き続き廃線跡を進んでいくと、福岡東環状線という大きな通りにぶつかり、近くの交差点を確認すれば「南里駅前」と書かれてます。



南里駅は勝田線が廃止になるずっと前の1943年には既に廃止されていて、その時代の駅名が未だに残っているとは驚きです。しかも道路自体は勝田線が廃止されたかどうかという1980年代に造られているから、この駅名を交差点名に採用した理由がまったくもって謎ですね。



この辺まで来ると、住宅やマンションも少なくなり、少しずつ畑なども増えてきてローカル感が出てきます。そんな畑のど真ん中を爆走していくと、突然、目の前にはジャスコもとい巨大なイオンモールが現れます。



勝田線自体はイオンモールの真ん中を突っ切っていたようで、この部分だけ完全に廃線跡としては失われてしまった状態になります。イオンモールとしては比較的大きな建物だし、もしも勝田線が今も健在だったら、ここに駅を造ればそれなりに利用客を確保できたような気がします(次の志免駅との駅間が近すぎるので、私鉄じゃないと駅ができなかった可能性もあるけど)。

イオンモールをやり過ごせば、何事もなかったかのように廃線跡が復活し、少し進むと志免駅に到着です。



沿線では唯一、当時の線路や信号機なども残っている駅でもあり、おそらく勝田線の中では一番の代表駅だったのだと思われます。

そして志免駅といえば、やはり志免鉱業所竪坑櫓ですね・・・!



特徴的な建物で、福岡空港を離陸した直後の飛行機の中からでも運が良ければ確認できます。

少し長くなってきたので、続きは次回

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